生きもの
キース

生きもの<br>キース

キース・ヘリングの創るものからあふれ出ている生命感が好きだ。

なぜだろう、同時代のバスキアよりもプリミティブなアフリカ性を感じる。
キース・ヘリングの情報を知らなければ、顔と創られた表現は一致しないだろう。

願わくは、キースがもう少し永く生きていて「縄文」に出会っていたら?
果たしてどうインスパイア受けたモノが創られただろうかと想像を禁じえない。

見たかったなぁ!

ということで、そんな妄想を膨らませつつキースなJOMONを描いてみた。
題して、The Joy of Life|生きるよろこび。

ちょうどAdobe x Keith Haringということで、Frescoでキースのブラシが出ていて試してみたら、けっこう楽しい♡

改めて見てみると、縄文土器に描かれた造形はけっこう微生物的なカタチをしていたりする。もちろん縄文人は知る由もなかったはずだが、、。ナニモノカを描くと生物の真理や原点みたいなことになっていくのかな。
わたしも空間を埋めるように描いていると、知らず知らずに微生物のような姿をいくつか描いていた。縄文人が土器に描く気持ちも同じだったのか?なんて。

ちなみに、山梨にある中村キース・ヘリング美術館にある立体作品には、場所柄も近い縄文のビーナスを彷彿させるものもある。

また、1984年のグレイス・ジョーンズへのボディペインティングは、まさにそれだ。その後、2007年くらいに出版された、ハンズ・シルバースターの撮影したスリ族は結構衝撃だった。同時に、キースのボディペイントのことを思い出した。

レニ・リーフェンシュタールとはまた違うアフリカントライブへのアプローチ。ハンズの写真は、表面的な造形美だけでなく、その人間性を移したポートレートとしても美しい。彼のファインダーを覗く視線が見えているように感じる。

キースは地下鉄のドローイングから、約10年くらいしか活躍していなかったとは思えない、色褪せない作品群。その永遠性をもつところも、プリミティブ・アートと同じところを感じる。

一方で、ちょっと違うアプローチで描かれた絵本「NINA’S BOOKS OF LITTLE THINGS!」。余白があって、自由に書き込んでキースとのコラボ?できるようなアイデアがあって楽しい。絵のタッチもかわいい。

写真は、身の回りに置いてあるインスパイヤ関連一式。
キースのベイビーはどこで買ったか思い出せないが、かれこれ20年近くになるのか?空気が無くなって凹んできた。

という訳で今回は、絵に注力してしまいましたので、テキストは少なめです。

90年に亡くなった時は、キース・ヘリングに勝手にトリビュートとして、歩道橋などにペイントしてたなあ、、。今なら出来ないけど、いい時代だった (㊀ö㊀)