コンセプトって
やつは
マグリットから

コンセプトって<br>やつは<br>マグリットから

「これはパイプではない」と書かれたパイプの絵。
象徴的なビジュアルにコピー、高校生にわたしにはいったい何を言っているのか?と言った状態ではあったけど、何故か強烈に惹かれるものがあり、ポストカードを机の前の壁に貼って、日々ニヤニヤと眺めていた。

マグリットのどこに惹かれたのか?後に改めて考えてみると、コンセプトや想いみたいなものが大量に注入されているのに、アウトプットがさらっとしていて、見る側に熱量の強制みたいなものが感じられないところなのかも知れない。

それでいてビジュアルの奥底には、ものすごいマグマのような熱量を感じさせる。この距離感のスタンス、品があり、ギラギラとしていない。只者ではない。個人的に、努力の跡や汗を見せつけられる作品というのは好きではない。

マグリットから受けた影響のいちばんのところは、「見えないものを視る」というところだ。
タイトルと絵の対比もしかり、描かれた絵そのものをとってもそのまま額面通りに受け取れるものでは無く、視方や想い方でいかようにも深くとれる。解というものも一つではない。一枚の絵に対して、いくらでも想いを巡らせる脳内ロング・ジャーニーが愉しめてしまうところ。

わたしも過去に広告でオマージュさせていただいたこともありました。二谷友里恵さんが新しくはじめるブランドの決意表明を、まだ見えぬ未来への不安と希望を表現したものです。撮影は岩本茂さんに8×10で撮っていただいた。制作時には、マグリットのこの絵のことは全く意識しておらず、改めて知らないうちに影響されいたんだと意識した次第であった。

ついでに他のシュールレアリスムの人たちでいうと、ダリはいろいろと過剰で対峙し過ぎると疲れる。(本人のキャラとかchupa chupsのロゴは好きだし、フィゲラスの「卵の家」はおもしろかった)、ポール・デルヴォーはキライじゃないけど、深く入れない感じ。なんかシチュエーションを描いているような感じか。日本版の香水ジルバの装丁には、ハマっていた印象があって、そういうストーリーに合うのかなぁ。と、思いつつ原作の装丁を今更ながら調べてみると、こっちの方が全てストーリーがつまっているなぁ!と。レイアウトもこっちの方がいい!ちなみに、書籍界では慣例ですが、海外の装丁を国により変えてしまうのはなぜなんでしょうか?絵本は、タイトルまわりが母国語に変わるとか、音楽なんかはそのままのジャケだったりと、あまり変わらないんですが、。自分が作者だったら同じ方がいいと思ってしまいそうで、作者のみなさんはどう思っているのだろうか。

過去レコードは、「ジャケ買い」という言葉もあったようにある意味、一番大切な広告であった。レコードショップに行って、パラパラとめくり、ピンっと来たものを買ってみるなんてことは、みんなよくやっていた。家に戻り聞いてみて「アタリだ!」とか「そうでもなかった!」とかと楽しんでいた。大げさに言うとその制作者の想いみたいなものが現れているものを、ビジュアルから読み取る訓練にもなったかと、今になっては思う。
それから、レコードの時代は、ショップで輸入盤と日本盤を見比べて印刷具合などのコンディションを見てから、結局輸入盤を購入していたりしてた。色味もやはり輸入盤の方がよかったですね。紙質も違ったりして。海外の悪い紙の方がいい雰囲気が醸していたり。それと日本盤の帯も、ジャマなんだけども捨てられないし、みたいな感じで扱いに困るという存在であった。CDになって帯が小さくなったのはいいけど、これまた開封後の所在に困るものだった。
同じ様に、本も外カバーはあんまし好きではない。さらに、カバーと内側の表紙が同じデザインというのはなんとももったいない感じで、これまた捨てたいけど捨てづらい。汚れの保護なのだろうか。その点、海外のペーパーブックは最高なんだけど。ガザガザの紙に印刷していて、でもエンボス加工や金箔もしていたり、高級なのか庶民的なのかよく分からないけど、あのタイプは日本だとあんまし売れないのかな。個人的にはとても好きな装丁だ。

話は戻って、マグリットは、ロックもイケるところもいい!
ストーンズのアンジーのオマージュやビートルズのアップルレコードなんて最高。
ちなみに、元ネタをみんなが知っている前提での表現は、パクリではなくオマージュである。元ネタが存在しているからこそ、このネタが存在しているというところ。むしろ元ネタを知らなかった人は知ってほしいくらいのことであり、パクリとオマージュの大きな違いはそこだ。


ワインやお酒などのラベルや、お菓子のパッケージもしかりで、創る人の美意識が、最終的に宿る場所だ。人間の見た目と同じ。ジャケがいいものは、かなりの確率で中身もいい!なぜなら、いいものというのは、ディテールまでこだわっている人たちでないと創れないし、ジャケはパッケージは最期のアウトプットだから、自ずとこだわり加減がよく見えるポイントなのである。


2015年のマグリット展@新美術館のお土産はいい感じ。
ベルギークッキー缶のパッケージを変えたもの。山高帽のキャップ付きペンシルは小学生だった次男がプレゼントしてくれました (㊀ö㊀)