オトの
デザイン
“シンボル篇”

オトの<br>デザイン<br>“シンボル篇”

バンドのロゴ・シンボルでは、何よりもストーンズのベロ・マークが最高だと思う。かれこれ何十年も見ているのにいまだに色褪せない普遍的で有機的なアイデンティティの最高峰。ベロ・マークは、5000年後に、何らかのカタチで見つかったとしても、見た人のイマジネーションを掻き立てるものだろう。

元はインドのカーリー神とミックの口が融合したアイデンティティ。後から知った話では、ミック・ジャガーがレイモンド・ローウィがリファインして完成させたShell(シェル石油)みたいなシンボルを作りたいとも考えていたとか。デザインしたのは、ジョン・パッシュという24才のロイヤル・カレッジ大学院生。バリー・ゴッドバーもそうだが、60〜70年代の若いエネルギーが世の中に満ち溢れていたんだろうなぁ。そのあたりもミックの先見の明を感じる。彼は、ラップやらプリンスやら新しい定番をいち早く見つける才能をも持っている人だ。

ビートルズやDOORS、KISSなどタイポでのロゴは美しく印象的なバンドもいくつもあるけど、時代を超えて遺るのは文字ではなく、シンボルやアイコンといったものなんだろう。

なかなか気になるのがグレイトフル・デッドの一連のアートワーク。これらは彼らにしかできない独自性が溢れている。このテイストは、自分には全然持ち得ないところに惹かれる。うらやましい。骸骨だけでなくデッドベアなんていうカワイイキャラものまであるなんて、ホント独特のいい世界を彼らは持っている。

メタル系は、クセが強いのが多くて、大好きという訳ではないけれど、印象深くてずいぶん昔に見ていても忘れさせない強さを持っているところは改めてすごい。

同年代のバンドだとゴリラズは、ジェイミー・ヒューレットの一連のアートワークとのコラボは、音とビジュアルのマリアージュがいい感じ。黒目の無い2-Dはまるで土偶!ゴリラズという超シンプルなネーミングも好きだな。学生時代フロッグス(Frogs)というバンドを少しだけ組んでいたのを思いだして勝手に親近感。ケミカル・ブラザーズの、文様のようなロゴをはじめ、アルバムのカバーもいろいろとセンスがよろし。ダフト・パンクも同じロゴタイプを素材をアルバム毎に変えていたりロゴへのこだわりが感じられる。彼らは、本人自身の演出&作り込みがすごい。こんな風にトータルに徹底して細部まで作り込んで、かつ完成度があるバンドは好きだなぁ。

それから、LED-ZEPPELINのメンバー4人をそれぞれを表すこのシンボルの存在というものには、かなりの影響を受けている。両端のペイジとプラントは各々のオリジナルだが、センターの2つはありモノからのチョイスのようで、確かにその2種類の温度差は感じるが、ともかくロックバンドで、自らをシンボルにしてしまうコンセプトは斬新だった。ジミー・ペイジは、いまでのこのシンボルは使っている。


ツェッペリン4枚目のアルバム(LED ZEPPELIN IV)では、タイトルもバンドのクレジットさえも無く、ジャンク屋でプラントが手に入れた老人の絵があるだけ。インナーには、この4つのシンボルのみ。この思想は、まさに縄文土偶!さらに曲も、「天国の階段」「ブラック・ドック」「ロックン・ロール」などの名曲揃いときている。ジミー・ペイジはいろいろとやることがイカしてるし、イカれてる。
ドラムのジョン・ボーナムが亡くなった時にそのまま解散するという潔さもスゴイ。確かにボンゾのドラムは抜きん出て素晴らしいし、ドラムの音だけで誰が叩いてるのか分かる稀有な人だ。再結成の時は、ボンゾの息子ジェイソン・ボーナムがドラムを叩くという、これまたブレてない。徹底している。

ついでにこのLED-ZEPPELINのロゴタイプも素晴らしい。この時代のバンドは、けっこうみんなロゴがあった気がするが、これは完成度が図抜けている。ツェッペリンのとても強いその独自の世界観と共鳴しあう美しいものだ。

プリンスも一度、名前を捨てシンボルマークにした事もありましたね。あれはワーナーとの契約の理由とかで、結局定着はしなかった。なんだろうね、その違いは。後付や思いつきの消極的な戦略じゃだめなんだろうなぁ。

最近のバンドには、こういったシンボリックなロゴマークがあるものが少ない。漫画や映画のタイトルなども、既成のフォントからアレンジしたものが多い。世の中にあるフォントの質と量が昔に比べると格段にUPしているせいもあるが、クセが強いものがあまりウケない時代なのか、ちょいと寂しいですね。物足りない。やっぱりワンオフなものを創るなら、ワンオフでいっとかないと、とは想う。

日本で思い出すミュージシャンのロゴといえば、E.YAZAWA。中学生はみなマネしてたw。ちょっとKISSなテイストを思わせるところはあるのか。それはさておき、アメリカに行ってドゥービー・ブラザーズらと録ってきた永ちゃんのアルバムはカッコよかった。リーゼントをやめて今のヘアスタイルになって、スタジャンにピンクのセーターで。予約特典にはポスターがついてて、あの頃はそんなモノでも特典として成立していたんだなぁ。レコード屋のお兄さんと仲良くなって、いらなくなったポスターとかもらっていたなぁ。

それからやっぱりキング・クリムゾン。「太陽と戦慄」の太陽と月の絵もミケーネやクレタの三脚巴紋を思わせる古代文明テイストだし、「ディシプリン」のケルトノットは、縄文に近いケルト文化の縄の渦。デザインも音楽も最高だね。


音楽ついでに、レコード・レベールのロゴがありました。これらいい感じのレーベル・ロゴを見ていると、音楽への「クオリティ」というものへのアプローチがあるものが多い。それは、音の完成度にこだわる人たちは、ロゴの完成度も理解しているということなのか。
レーベルごとのブランディングってやつも昔は顕著だった。

ブルーノートは、カバーアートも含め革新的デザインの宝庫だった。ロゴは、全音符のようなオーバルをシンボルとしながらも、この中にレコード番号が組み込まれていたり、けっこういいアイデアの発明。このロゴ・デザインもリード・マイルスなのかな?

ワーナーとゲフィンは、ソール・バスによるさすがの完成度。ECMはミニマムな美しさが多く、キース・ジャレットの文字だけの「Standards, Vol. 2」なんてよかったなぁ。

アイランドは、トム・ウェイツのアルバムとこのヤシの木がミスマッチなので、よく覚えている。CDになると、背表紙のグラデーションが効いてて、棚に並ぶCDの中からすぐに見つけることができた。

nprのタイニーデスクコンサートは、ビリー・アイリッシュからブルーマンから、いろんなジャンルの人たちが雑多な部屋で演奏してくれるのが面白い。いいコンセプトだなぁ。ヨーヨー・マまで出てくる懐の深さには (㊀ö㊀)