センス
と
美意識
2020 06.06 4:12
センスは、表に現れ。
美意識は、内に潜む。
センスは、すみやかに。
美意識は、ゆっくりと。
センスは、入口。
美意識は、出口。
センスは、スマートな美しさ。
美意識は、マインドな美しさ。
センスは、例えるなら弥生土器。
美意識は、例えるなら縄文土器。
センスは、技術。
美意識は、思想。
センスは、主観的視点。
美意識は、客観的視点。
センスは、見た目を変える。
美意識は、生き方を変える。
10年くらい前、仕事仲間の若い人と話をした時に「一番欲しいのはセンス」と言われ、さらには「どうしたらセンスよくなるんですかね?」とも聞かれ、その時に直感的に思ったのは「センス」ってそこまでの存在のものではないんだよ。と、思いつつもうまいこと答えてあげられずモヤモヤだけが続いてた。
時が経ち、イマ改めて思うのは、
センスとは、つくるものではなく、見つけるもの。
向き・不向き、得意・不得意というものと同じで、自分がセンスよくできるものが、見つかるといいけど、そこはまだスタートラインでしかない。
たかがセンス、されどセンス。センスってそんなもので、あったらいいけど、そこに囚われて追いかけ続けると、より大切な本質を失う。
また、とあるクライアントとの会話で、わたしが「デザインとは人格」みたいな事を言ったら「わたしは、売れるものをデザインしてもらえれば、その人がどんな人でも構わない」と言われ強烈な違和感を覚えた。大前提として、デザインの見た目のクオリティがその二者間では、あまり違わない前提での話だが。
もちろん企業にとっての売れることは大切なことだけど、それが一番でいいのかと、そのモヤモヤを塩漬けにしたまま、これまた何年も経った。
時が経ち、イマ改めて確信できる、
美意識には、人格が伴う。
やっぱり、そこが一番大切なところでは無いだろうか。それは、どんな仕事をしていても、何をやるにしてもついてまわるものだと想う。それは、深いところでそのデザインに現れてくるんだなぁ、これが。
センスとはすでにあるものからの選択で、美意識とは手さぐりで探すものではないかと。
さらにその美意識が成熟し、身につくことにより「品格」といったものが生まれ出てくる、それは大樹のようなものになれるのか。
めざせ屋久杉、縄文杉。
彼らには、杉だけでなくいろいろな種類の樹木が着生し、共生しながら存在している。それはあたかもいろいろな事象を受容しながら生きている人間のようだ。
イマ世の中に足りないもの
それは「美意識」だと想う。
美意識といった、数値化できないものに価値を見いだせる人間にわたしもなりたい。
ついでに「美学」ってものはこんな感じで、どうも不自然に無理をしている気がしてしまう。副え木の種類は人それぞれだけど (㊀ö㊀)