マティスの
最期は祭祀
2020 05.07 19:45

「安楽椅子のような絵を描きたい」と、いうようなマティスの言葉を昔どこかで見た記憶があり、それは心のどこかにずっと残っていた。分かりやすい言葉なんだが、額面通りに受け取るには、マティスの作品を前にするとしっくりこない。そんな単純な話では無いだろうと。
マティスのドローイングは、シンプルな線で描かれたものが多く、それ故に多くの人にはその凄みが伝わりにくい。シンプルな線や色で描かれているものこそ、難しい。何度も何度も描いて描いて描き直して、やっと満足できるものが描けかどうか。
マティスが、モデルを見ながらドローイングを描いているビデオがある。ものすごい勢いで何度も紙とモデルを交互に見ている。それに対してドローイングはゆっくりと確かめるような描き方。個性的だ。完成作品からは、このドローイングのシーンは想像できないだろう。モデルの表層的なものだけを描こうとしている訳ではなく、その人の内なるキャラクターをあぶり出さそうとしているかの様。と同時に、表層に在るディテールも見逃さない気迫。しかし描かれているものは抽象。
かたや、ピカソ。まるで手と目が直結しているようにスラスラと描いている。次から次へと目の前に現れるイメージを掴まえているかの様。マティスに師事していた猪熊弦一郎氏曰く「画家には2つのタイプがあって、ピカソのように対象がなくても自由に創る人と、マティスのように対象が必要な人」がいると。ちなみに猪熊さんは、ピカソ的なタイプだったそう。
わたしは明らかにマティス・タイプだなぁ。ナニカがないと何も創れないし、創る気がしない。ナニカというものは、モノだけでなく、コトやヒトや自分以外の全てのものが対象だけど。
マティス後期の多くの傑作作品は、シチューキンやバーンズといったパトロン、いまでうクライアントからの依頼で、しかも多くは自邸や財団の壁画ための絵であることを考えると、納得はいく。
それら作品は美術館行きでは無く、彼らの日常の延長線上に在るものだった。
思い出したのは、1994年国立西洋美術館での「バーンズ・コレクション」展、連日ものすごい行列でした。すごい人で、あんまし目ぼしい作品が無かったせいか展示の内容はそんなに覚えていはいない。日本でのマティス展では、1991年の笠間日動美術館は、ものすごく見応えがありました。日本でこんなにマティスが見れるなんて!わざわざ足を運んだ甲斐ありました。しかしながら、どうしても日常感はない。出ない。美術館での鑑賞という非日常なものにどうしてもなってしまう。
で、ふとバーンズの今をググってみたら、スゴイですね!フィラデルフィアのバーンズ財団。2012年に出来たこの展示は、アートが日常にある人のキューレションだね。絵にクレジットや解説もついていないし、ヘッドセット貸し出しのなんていうのもやっていないだろう。ここは、いつか見に行きたい。
アートは、できるならそのモノが創られたり、存在していた場所で対峙できるのがいい。
ニースやヴァンスなどで見るマティスは違いました。海外の小説を原文で読むようなニュアンスなのか。読めていないけど。現地の空の色、海の色を見ているとマティスの色彩の訳がよく解る。「ふむふむ」。
土偶も海外や上野で見るより、実際の出土地で対面する方が実感が伴う。重文や国宝になってしまうとライティングされ、ガラスケース越しの対面でしか叶わず、触れることもできない。本来存在していた縄文人の目線を共有体験することはできない。
勝手ながら日々共に過ごすならなら、ピカソや岡本太郎よりも断然マティスだね。ダンスがリビングにあることを想像してみると(サイズのことは置いといて)日々癒される安楽椅子どころか、生きるエナジーだね。
ちなみにダンスⅠから、ダンスⅡの進化は、言うなれば「おおらかさ」からの「こまやかな精緻化」だ。デザイン的なチューニングが絵に見える。

マティスは同じテーマで、満足行くまで何度も何度も描いている。ドローイングから大作まで。

川辺の娘たちでは、1909-17年にかけて、トライ&エラーを繰り返している。途中モロッコに行っているのでそこで大きなインスパイアを受けたのだろうか。
Matisse, Henri: Bathers by a River
これはマティスに限った話ではないが、創造者にとって大切なのは満足できない時、積み上げてきたものへの壊しっぷり。それは、合気道や書道など「道」ものなどの終わりなき究明の感覚に近いものか。
マティスの80歳過ぎての作品群は、さらにすばらしい。スイミングプールは大好き。80過ぎの老人の創ったものじゃない。
足腰弱くなっても、老人になっても人生を謳歌できるもの。それは、ゴルフや旅行じゃないよ。内なる自分と対峙して楽しむことができるものだね。車椅子やベッドの上でも嬉々として創作活動をしている写真を見るとよく分かる。
そしてマティス最期の大仕事、ヴァンスのロザリオ礼拝堂。
宗教とデザイン。祈りと救済の祭祀へのデザイン。ここへの到達は、わたしにとっては縄文土偶や円空仏と対面した時の心の動きと同じものだ。生きる喜びの想いをカタチに昇華させたもの。
30年くらい前の1990年くらいに、ニースから電車に乗ってバスでえっちらおっちら行った時の感動は今でも覚えている。創り手もさることながら、祭壇にある顔の描かれていない絵に向かい、祈りを捧げられる人たちの成熟と想像力もすごい。ついでに司祭服もすごいデザイン!
それはまるで古代人が創った人形と、その価値を受容していた人たちの関係を彷彿とさせる。人間の受信力は何万年、何千年もかけて退化していっていないだろうか。プリミティブ・デザインには人間の一番必要なものがあぶり出される。豊かになると同時に、いろいろと追加されていったそのオプションは、果たしてイマ、本当に必要なものなのか??
安楽椅子の言葉。かれこれ30年くらい傍らにおきつつ、だんだんとその言葉の深さが実感できてきた気がする。人びとの安楽椅子になるような存在の創造物が、これからはとてつもなく大切になる。そして、安楽椅子のような人びとに安らぎとエナジーを与えられるモノを創るには、創作者のこれ以上ない想いの追求が必要になる。カンタンにはできないものだ。
ロザリオ礼拝堂の本。教会は撮影禁止で、その頃はインターネットもこんなに発展していなくて資料が無く、満を持して発売になった写真集。その当時の自分には、高価だったけど迷わず買いました。で、当時飼っていた黒うさぎのピータンに、あっという間に表紙カバーは齧られました。いい本から齧っていたなぁ。。 (㊀ö㊀)