円空の仏は
元禄の土偶か

円空の仏は<br>元禄の土偶か

12万体もの仏さま

1632年美濃生まれた円空は生涯に12万体もの仏像を彫ったと推定されている。30代から彫りはじめて、64才で自ら即身仏になり生涯を終える。
その間、およそ30年間くらい彫りつづけたとして、年間4,000体。単純計算で1日約11体。木っ端のような小さな仏さまもあるにせよ、もの凄い物量。
しかも、全国を行脚しながらの日常だとすると、毎日彫りつづけられた訳ではない。彫れる時に彫る、その時の集中力と勢いは、もの凄いものだったろう。
兎にも角にも、凄まじい使命というものを感じる。

ちなみに、ピカソは世界で一番の多作のアーティストとしてギネスで認定されているようで、その数は15万近く。がしかしピカソは、90才くらいまで生きて制作しつづけてたことを考えると、ピカソも凄いが、円空の質量の凄さがよく分わかるんじゃないだろうか。
またピカソにも、ゲルニカのような民衆に近い政治的なメッセージな作品もあるけども、この2人の表現の方向性は少し違う。
ゲルニカは激しい苦痛や、恐怖や叫びを描き訴える。広告で言うところの恐怖訴求というものだが、片や円空は穏やかな微笑みを描き未来の希望を創る。

Guernica | Pablo Picasso – Mougins, France, 1973

ある窮状を描くとき、その苦痛を描くことは多いが、ある人はその先にある希望を描くことにより、未来の希望や生きるエナジーを造成する。

同じ境遇で傍にいる人間が、苦痛を分かち合うのか、それでも微笑んでくれるのかで、未来の展望は違ってくるんじゃなかろうか。

この対比は、まるでイソップ寓話の「北風と太陽」のようだ。

自然に神を視る

円空自体が、既存仏教の枠を飛び出して修行に努める遊行僧。今でいうフリーランスの僧侶か。そして創られる円空仏も、それまでの仏像彫刻と自ずと違っている。

それまでの仏像彫刻といえば、多くは精緻でリアリティある人間像。時としてそれは、後世に遺す肖像画だったり。また、時として巨大な大仏により国を統治するために、民衆への凄みを見せつける表現だったりと、それは大きかったり、手がたくさんあったり、と分かりやすいものが多い。また基本は人間を模して、その延長線上ある表現だった。

円空仏の中でも、不動明王や金剛力士像や、柿本人麿など分かりやすいものもあるけども、それだけに収まらない自由さが魅力だと思う。

宇賀神なんて、まさに土偶。いや木偶!?
宇賀神とは、田の神として信仰を持つ蛇をモチーフにされたもので、蛇は縄文時代にもっとも崇められた神さま。

宇賀神|十一面観音・善財童子・善女竜王

円空仏は、自然を活かした創り八百万の神を具現したもの。その考えは、仏教渡来以前の目に見えない精霊やナニモノカへの信仰の形に通じるものではなかろうか。

三尊像「十一面観音・善財童子・善女竜王」は、なんと一本の木を三体に分け創られたもの。合わせるとまた一本の木になる写真をどこかで見たときには言葉を失うほどの衝撃でした。

これは、割れた木に対しての感じるままに精霊を彫り出したものだろうか。
仙厓さんも、ちょっと違うけど貝殻を観音さまに見立てたものを遺している。

その思想こそ、まさに縄文土偶の考えを元禄時代に継承した仏さまではないだろうか。
また、全体に漂うおおらかさや、穏やかさも土偶の持つそれと同じだ。

無償の利他

円空の仏は無償で制作を行なった。

どんどん創り、どんどんあげて、手元には何もない。(仙厓さんの絵と同じか、見つかっていないたくさんの絵は何処へ。また今も昔も価値をわからない人へ渡ったことで消滅しているんだろうか?)

もらった村民からは、質素なお供え物などちょっとしたものはもらったかも知れないけど、物々交換。
縄文やアイヌの人びとと同じようなやりとりをしていたのではないだろうか。

現代の、SNSに代表されるフリーのサービスは、ユーザーは自分ではタダで使えている反面、その企業は巨額の利益を得ていることを考え意識しながら使ったほうがいいと思う。いつの間にか、ネットビジネス関係はフリーというのがあたりまえになってきているけど、対価を払うというものは、敬意を払うのと同じ。ここでも想像力が大切。

円空は、「他人のしあわせが、自分のしあわせ」ということを日々実感し実践していたのだろう。
現代の経済至上主義や、効率や生産性に価値を置きすぎる風潮は、そろそろどうにかならないものなのか。

また、円空は「円空さん」という呼び名が自然とあるように、敬いのある親しみさがあるんですよね。
後の仙厓さんもそうですね。
一休さんもそういうイメージあるけど、あれはアニメの影響なのかな。なんか違う気がするのは血筋のせいか、京都のせいか分からないのけど。絵心については全く分からないせいかなぁ。絵や文字を見れると人柄の片鱗みたいな事は感じられるんだけども。

円空さんは、生き方の覚悟が凄まじい。
がしかし、創造物は穏やか微笑んでいる。

円空さんの好きなところはこのところ。導かれているような自然に抗わない彫刻。見るものを何人も拒まない、全てを受容するデザイン。

最期は、自ら仏になったのも、使命のような自然な流れだったのか。

近年の草間彌生の「わが永遠の魂」は、今まであった憑き物のようなものが落ちて好きだなぁ。新美で大広間での展示はよかったですね。まるでアボリジニアート的な、物語が蠢いていた。3日で1枚もの描きあげるスピードと物量も凄い。画集出ないかなぁ。アンデルセンの人魚姫に草間彌生挿絵、装丁デザインも美しい本。デンマークのルイジアナ美術館のもの。行ってみたい。ちなみに、2017年に出来た草間彌生美術館のトイレはいい感じでした (㊀ö㊀)