熊谷守一と
クマガイモリカズ

熊谷守一と<br>クマガイモリカズ

どこかの展覧会か、常設展示だったか、その記憶は定かではありません。
テンポよく急ぎ足で作品をみていたその時、ふいに足がとまる。
大きな壁に対してA4くらいの小さな絵が一枚。
が、しかしその絵は空間に負けていない存在感。それが「ありの絵」。

板のようなものに、厚塗りされた絵の具。ひとつひとつに魂がこもっているような線。ものすごい生命感を醸し出している。単純な絵のようだが、アリには歯もあり、脚にはちゃんと関節まで描かれている。

もうひとつ、気になったのが「クマガイモリカズ」というサインの存在感。まるで絵の一部のようでいながらも、その多くは絵の具を削り描かれているので、さほど主張はしていない。そのいい塩梅。

サインは絵によってはさらにその一部となり《山ぶどを》や《ざくろ》では、まさに絵の空間の溶け込んでいる。絶筆の《アゲ羽蝶》では、約1/5はサインが画面をしめている。

山ぶどを|ざくろ|アゲ羽蝶

さかのぼって調べてみると平塗以前の油絵には普通に「熊谷守一」とサインを描いていたが、その後確立された平塗の画風では「クマガイモリカズ」とカタカナに変わっている。試行錯誤や苦悩やそういった長い時間をかけて画家クマガイモリカズへとなっていったのか。

「漢字で『熊谷守一』と書くのは皆によくわかるからで、少し自分の気に入ったのは片仮名で、もう少し気にいるとサインはしないんです。」と本人は語っていたらしいです。

幼少期に見たあの「陽の死んだ日」の熊谷守一と、この達観したかなような平塗りのクマガイモリカズが結びつくのはそれからしばらくしての事で、あの絵とこの絵の作者が同じ人物!というのが驚きと共に、熊谷守一さんの人生の深さというものを感じました。

サインに関して(何もはいっていないのが一番カッコいい!と思っていますが)絵になっているサインが入っているモノは、それはそれで大好きですね。マティス然り、ピカソ然りで。あと、アリステッド・マイヨールの彫刻の人間も昔から好きですが現物を近年改めて見た時に、サインがいい感じのロゴというのを発見してさらに好きになりました。

matisse | Maillol

ついでに、創るもののサイズ感に関して言えば、大きいからといって存在感が大きくなるわけではないと想う。過去MOTであったイサム・ノグチ展で、大空間の中にエナジー・ヴォイドが一つだけ展示されていたのが強く印象にのこっています。大空間に対しては小さなそのサイズで、その存在感が凄かったですね。見えない空間にも漂うナニモノカがありました。

縄文時代の土偶たちはまさにあのヒューマンスケールなサイズ感がいいんだと想う。後々の文明はみな大きさを競い、必要以上に力を誇示をし、そして滅びている、、。

イマ改めて想うと、クマガイモリカズに惹かれるのは、その小さな大きさというところかもです。

それから熊谷守一の書。サインに関しては「守一」と書いているのが多い。やはり、それぞれの特性を見て、サインを入れていたんじゃないだろうか。
タイポグラフィは、とてもおおらかで美しい文字です。仙厓さんに通づるものがあると思います。絵画のような書という感じでしょうか。

まるで仏像そのものを思わせる「ほとけさま」の書。そして68才のしっかりとしてそれでいておおらかな「獨楽」。「獨楽」は96才の時にも書いています。どちらもすばらしく好きです。独りでいても楽しみを見いだせるといった仙人の守一さんならではの書だと思います。

ちなみに、熊谷守一家の表札は、何度も盗まれたらしい。書がよかったんだろう。がしかし、盗んだ人たちはその表札をいったいどうしたのだろう?家に飾っていたのか?果たしてそれはオークションに出るのか?出せるのか?
クマガイ家の黒猫と我が家のザクロ(⊝.⊝)