ブルーナの
ゆるやかな
トキのながれ

ブルーナの<br> ゆるやかな<br>トキのながれ

ミッフィーの変遷。

1955年ディック・ブルーナ28才の時に生まれたミッフィー。
この時はフォルムがウサギからの変化という感じで、まだアイコン的なものにはなってはいない。(しかし今見るとこれはこれで味わい深い)

そこから約10年、ブルーナ36才で子どもの頃絵本でよく見た「うさこちゃん」の存在となる。

ここで完成かと思いきや、ミッフィーの進化はまだまだ続く。

ブルーナが50〜60才くらいになるとデザインはほぼ完成形へ。
全体が丸みをおび、シンプルになっていく。

僅かな進化は止まらず、その後もラインがさらに太くなったりと、どんどんカタチは研ぎ澄まされていく。

およそ50年くらいにわたり、進化を続けていたのではないだろうか。
最終的なミッフィーは、ブルーナが土偶を知っていたのかは知らないが(多分知らない)それはまるで縄文のビーナスを思わせるバランスの完成されたデザインだ。

思い出したのは、ジョルジュ・ルオーが美術館で展示されている自分の油絵を人目を盗んで直していたいうエピソード。

その気持ちはよくわかる。一度手が離れた作品や仕事でも、後から見ると「こうしたかった!」みたいな事を気持ちが往々にして出てくる。直せるものなら直したい、と。


ぼくの仕事のやり方は毎日の積み重ねです。
いつでも、今日は昨日より少しでもいいものをつくろうと心がけて、ずっとやってきました。

同じようなことをやっていると、僅かな違い、微差、微細というものが大きく作用するということを感じることになってくる。

ー Dick Bruna ディック・ブルーナ


ブルーナが生前語っていた「きのうより上手くなりたい」という想いは、ミッフィーにはっきりと現れている。
この永遠に続くかのようなタイムラインで、進化を続けていくということ。

ブルーナが100才まで生きたら、ミッフィーの次なる進化が見えたかも知れない。見たかった。

ブルーナの創る絵本は、いわゆる印刷物なのだが、なぜだかワンオフのアートピースのような趣を感じる。その理由のひとつに、この「線」があるのだろう。その線は、ドローイングではなく一点一点を微細に刻まれた、時や想いの集合体のようだ。


そして最後の遺書のようなブラックベア。「de beer is dood」。展覧会では額装された絵本があり中は見えない。2011年に作成されたようだが、死後の発表が望ましいとされた絵本。2017年にブルーナが亡くなると近しい出版社や知人だけに配布され、今後の出版もないという。絶対売れる本になるだろうが、清い。

この生き方は、美しい。
ひとつの理想形だと想う。

ブルーナは子ども向けのもの絵本でも、書体のチョイスやレイアウトなども含めデザインは大人向けと変わらぬ、プロの佇まいをしている。それは、デザイナーとしての能力・実力といったものだけでなく、子どもを小さな大人として見ていたのではないかと想う。絵本での書体を全部小文字するのは、日本で言うところの「ひらがな」のニュアンスだとは聞いたことがある。ブルーなの絵本では、オリジナルのオランダ語では全部小文字が多いが、英語版はけっこうマチマチなのはブルーナの監修の程度の差なのか、よく分からないが。
ナインチェも最初のものはNIJITJEと大文字だったみたいだけど、1963年の「ちいさなうさこちゃん」ではnijitjeと小文字になって、それ以降はすべて小文字表記だ。しかしながら、クリスマスやシンデレラなどの童話を描くときには、すべて大文字でKERSTMIS、ASSEPOESTERと表記している。明らかに意図して使い分けをしているのだろう。

ブルーナに限らず、マスターピースな絵本エリック・カール「はらぺこあおむし」にしても、美しい書体、文字組みでレイアウトされているものは多い。特に、オリジナル原語版は美しいものが多く、日本語版と両方購入し見比べている。日本語版になると少し子どもに日和っている感が書体選びに現れてくるのが多い。絵本は文字までふくめて「絵」なんだと思う。日本語の絵本だと「ぐりとぐら」は普遍的な美しさがある。最近では、村上春樹のシェル・シルヴァスタイン訳のものはちゃんとデザインも翻訳されていて美しい。

2010年に日本語版で改定されたウサコズフォントに関して言えば、ちゃんとしたデザイナーの手による完成度は文句なく高いのだが、その反面、ミッフィーの絵本のフォントを全部統一する試みには、はたして最適な解なのか疑問がのこる。オリジナルのGrotesk系とゴシック系との相性はいいのだが。個人的にVoltaのミッフィーが好きなせいもあり、このフォントの持つ個性がウサコズフォントでは消えている。ついでに、改めて眺めて見ると英語圏の「miffy」もいいが、やはりオリジナルのオランダ語「nijntje」が文字の並びはいい。

Groteskはオーソドックスな普遍性があるし、Helvetica Roundedは柔らかな子どもらしさがかわいらしい。その点あえて、Voltaをセレクトするということにブルーナの狙いや想いがあるんじゃないかと考えざるを得ない。Voltaで組むと全部小文字でnijntjeという字面にもよく合っているし、品があるがクセ・個性もあり、強く、美しく、それでいてかわいらしさも感じる。

とかく最近の子ども向けの絵本などは、完成度の低く、イージーにかわいらしい書体にしたりとか、楽しそうに賑やかにしたりとか、そんな小手先系テクニックはまさに子どもだましではないか。
制作者の力量不足というのもあるかも知れないが、何よりも子どもをなめてはいけない。その姿勢が大切だろう。

東日本大震災のあと、日本にむけてブルーナが描いたミッフィーのカードには、やさしさと美しさに満ち溢れていました。DickBrunaのサインと共に描かれているブルーナ手書き文字もいい (㊀ö㊀)