CO-MISSION DESIGN?
2020 10.23 22:23
“誰か他の人に呼ばれ、頼まれたのがきっかけで共に使命を分かち合い共鳴するデザイン。それは、同じ方向感をもった人たちに、イーヨウにできる最大限のフォースで協働するものです。
時にそれは未だカタチの無い、なまえも無いフワフワやモヤモヤとした想いを、言葉に還元し、方向を指し示し、デザインとして定着させることだったりします。”
と、書いてあるCO-MISSION DESIGNの説明だが、もう少し掘り下げてみようかと想う。
「もう少しこちらでまとめてから相談します。」と、たまに言われることがある。
無駄になる作業が生じないように、それなりに気を使ってくれての事だろうと理解はしている。
がしかし、イマのそこのポイントから相談してくれて構わないし、むしろその方がお互いにとって、いい場合が結果的には多々ある。
デザインはどこからはじまるのか?
デザイナーという名前がジャマをするのだろう。わたしの場合は、デザインするものはカタチがあるものとは限らない。むしろカタチの無いところにこそデザインの本質みたいなものが在ると想っている。
餅は信頼できる餅屋に任せてくれた方がいい。そして、うれしい。はりあいも出る。
視えないものを信じる力、自分にないモノを認める力、数値化できないことに価値を感じる力。
昔、クライアントのオリエンに対して、オリエンのダメ出しというものを失礼ながら(必要とあらば)やっていた。それは、そのオリエンがまだ生煮えなのが手に取るようによく分かる時(当人も薄々気がついている)、何がしたいのかがよく分からない時。そんな時でも、業界には頭のいいスマートな人(物分りのいい人)もいて、それなりにまとめてくれたりもするが、本質的には解決にはならない事が結果多い。それは、頼む側がモヤモヤしながら無理くりにゴールを定めて依頼するからである。時間も予算も、もったいない。
だったらゴールも含めて、モヤモヤとは何なのかを一緒に考えたいと思う。結果、急がば廻れで、無駄な作業は減るものだ。モヤモヤの正体とは、「ミッション」が無いということなのだ。しかし、自分のミッションが分かっている人間が少ないように、企業やサービスにおいてのミッションがクリアになっているのも少ない。
聞いた話だが、昔の大工は家を建てる際に、施主の家族構成とか、今後の家族の方向性とかそんな事を聞いたのち、「よし任しときな!」と図面を頭に描いて、家を作り出したそうな。
そこにあるのは、信頼だ。その大工の棟梁のスタンスと施主との関係性みたいなものはいいなぁ。今は大工さんというとほとんど、家造りの中での一部になってしまっているが、昔は建築から施工までを施主の想いを汲んでカタチにするという稀有な人材だった。
また昨年店を閉めた、近所の魚屋さんのことも思い出す。「今日はすげーいいのあるよ。コレ持っていきな」と、いつでも間違いないオススメをうれしそうに勧めてくれた。値段は負けてくれても時価なので、スーパーに比べるとそれなりにする。しかも値段は書いていない。が、家に帰り食べているも本当に美味い。外で同じものを食べたと考えるととても安い買い物だ。言わば、その道50年の目利きに金を払っていたことか。おじさんは魚屋さんが天職のように、いつでも楽しそうに仕事をしていた。これけっこう大切。
まさに、PAY RESPECTがあるから、PAY MONEYだ。
話は戻ると、わたしたちがCO-MISSIONしたいのは、まだカタチのない、何というのか名前もまだないようなものを、その想いをわかちあえる人たちと共に創り上げていきたいということなのです。
デザインは、カタチは問わず。
時にカタチにならない想いみたいなデザインかも知れない (㊀ö㊀)