猫と縄文
其ノ二

猫と縄文<br>其ノ二

最近では、猫の飼育数が犬を超えたらしい。縄文時代は圧倒的犬だ。ペットというより共に狩りをしたり大切なパートナーであったろう。中には人間と共に埋葬されていた例もあり存在感は確かなのだが、対して猫はほとんど登場しない。

現代のイエネコは、エジプト人がヤマネコをイエネコにし、日本には奈良時代に書物をネズミから守るために中国から連れてこられたと言われている。しかしながら、そもそも日本にも有名な西表島山猫をはじめ昔からヤマネコは住んでいたのは確かであり、にわかにそのストーリーは信じがたい。

最近では、ベンガルヤマネコは栃木県葛生の地層から化石が発掘されたそうで、はるか縄文時代以前、10~100万年前にはベンガルヤマネコが日本にいたことが判明。

そしてこの土偶 ↓ を見てほしい。この姿形、縄文時代の猫の存在について考えざるを得ない。

上黒駒土偶@トーハク|ツシマヤマネコ

いや、これはどう見ても「ヤマネコ」ではないのか!?ヤマネコを見た縄文人が創ったものとして見えてくる。

この土偶は、縄文中期に山梨の上黒駒で発見されたもの。側頭部〜後頭部へと廻ってみるととても複雑な造形をしており、顔自体は薄く平面的なマスクのような存在である。
肩の造形も凝った創りになっており、ドットも正確なパターンで丁寧な打ち込まれている。時間をかけた、美しく丁寧な仕事だ。出土していない、右手や下半身は、はたしてどんなデザインだったのだろうか。

左手の先にある3本指は、他の土偶や土器にもよく見られるものだが、何を現しているのかは不明。ポーズも相まってシンボリックな存在だ。

しかしこの佇まいは、只者ではない。
まるで「猫神」みたいな存在として、縄文の人間が超越的なモノへの想いを感じデザインしているようだ。

縄文時代には他の動物の土製品。例えば、猪、熊、水鳥など完成度の高い造形はあるが、あくまでも動物としてのフォルムを保っていて、ここまで擬人化?されたデザインのものはマレである。

擬人化された猫神といえばエジプトの女神バステトが有名だけども、あちらの頭部はそのまま猫の半身半獣なのでコンセプトやデザインは大きく違う。

ちなみに縄文時代の犬の土製品もあるが「これ犬?」みたいな、子どもが作ったようなあまり完成度が高くない造形である。

縄文犬は、家族の一員って感じで、あたりまえに存在していたので、ことさら表現する気持ちも薄かったのだろうか。それは「人間」へ対しての表現もそうであるように、あたりまえに存在している者に対して縄文人は、土偶にするという表現はしていない。土偶の存在は、神的というのか、人智を超えた畏怖の念を感じるモノを表現しようとしていたのではないだろうか。

また野生や自然を手懐けようとか、征服しようという考えは縄文の人間たちにはなかったと言われている。野生のヤマネコは、人間の理解と想像を超える存在だろうし、縄文人も崇高な存在と感じ、考えていたんじゃないかと想う。


浅間縄文ミュージアムで見た、塩尻で発見された縄文のキティちゃん@平出遺跡。5cmくらいの手のひらサイズでとてもカワイイ土偶でした。


イサム・ノグチもこんなスケッチを遺していたみたいです。

子どもと一緒にトーハクで原寸レプリカを堪能してきました。けっこうデカイ、そして欲しい (㊀ö㊀)