My Map

My Map

自分のデザインは何から創られているのか?

デザインやアートなど今まで好きだったものを書き出してマッピングしてみた。
上に位置するものほど強く影響を受けているもので、下に行くほど影響というほどではないけど好きなものといった感じだ。

美しさのめばえは、幼少期から。

一番最初の「美」の記憶、アフリカ。
3〜4才くらい(年齢ははっきりしない)の衝撃。家にある百科事典で見たアフリカのページ。そこに半裸で暮らす民族の家族写真があり、夕焼けとともにいるその佇まいになんとも言葉にできない感動を覚え何度もそのページを見ていた。遊びに来る友だち(同じ幼稚園児たち)にも「いいもの見せてあげる!」といさんで見せるも反応は誰しも今ひとつだったなぁ、、。

それくらいの年ごろに大原美術館に両親と行った時に、エル・グレコ「受胎告知」と熊谷守一「陽の死んだ日」に訳も分からず魂をつかまれる感じ。大人になり改めて振り返ると、それはまさに人間の「生と死」についてということなのか?
エル・グレコの描く人間は、なんだかデフォルメされているのに、他の写実的な絵よりも魂が宿って生きた人間のような雰囲気が不思議でしょうがなく。熊谷守一も荒々しくなぶり描きなのに、こんなにも生きている(死んだ人間を描いているのに)が何故なんだろう?と、子どもごごろにナニカを感じた2枚の絵だった。

El Greco | Kumagai Morikazu

同じ時期、油彩の先生のアトリエに油絵を習いに行ってました。しかしながら、どうしてもその洋画の光と影の描き方が好きになれず。まるでアニメや浮世絵のようなベタ塗りとラインで独自の絵を油彩で描いていた記憶がある。

ねむの木学園の絵を見た時も、子どもごころに言葉にならない感動と共に、自由でいいんだというシンパシーを感じ、アウトサイダー・アートなるもの(その頃はそんなカテゴリーネームは知らなかった)が大好きに。なかでもおおらかな世界が描かれているものがいいなぁ。最近はトゲトゲ、コマコマ、チマチマとしたものが多いのがいろいろな意味で気になる。病んでいる人も多いのか。一方で、障がいがある人たちと、正規の美術教育を受けていない人たちと、それらがごちゃっとしてきている現状にこのカテゴリーネームのターニングポイントな気がしています。

マティス。20才すぎくらいに行ったヴァンスで見た光の教会・ロザリオ礼拝堂は素晴らしかったぁ。写真撮影がNGだったかな。その頃行ってたセツモードセミナーで、自分の描いた水彩画を見たセツさんと初川先生が「マティスみたいな子がいる」と話していた会話がたまたま聞こえいて「ああ、オレの事話ししてる、、」と思ったくらい、その頃は影響を受けていた。あのシンプルなのに複雑なラインで、人間を表現している。個性までもが見える。その凄さ、美しさにマイッテました。

縄文は、1999年に仕事で訪れた奈良・唐招提寺で目の前にお店でなぜだか売っていた「遮光器土偶」を気がついていたら購入しており。その日から、いつでもそのシャコちゃんは傍らにいる存在に。


とまあ、急ぎ足で記憶をたどってみたら、自分の棚卸しを改めてみてみようと想いました。仙厓さんや猫や、はたまた他の想いいはまたの機会に (㊀ö㊀)