仙厓さんは
デザインGUY

仙厓さんは<br>デザインGUY

元祖ヘタウマとも、元祖ゆるキャラとも言われて、ゆるカワイイ方面で人気になっている仙厓さんですが、どうしてどうして高度なデザインの人だと、ひそやかにわたしは想っています。(もちろんこの上なくゆるカワイイですが)
模写して描いてみたダルマのような自画像も、単純なライン、間、そしてバランスの構成力がないと完成しない全然ゆるくないシロモノだと。

仙厓さんは、11歳にして臨済宗の僧となり、62歳から隠居するも、禅画を描いてもらおうとする人たちが紙をもって押しかけたという。83才でついに絶筆宣言をするも、88才までは何だかんだと描いていたそう。
現代に生きていたら、禅僧のアウトサイダー・アーティスト現る!みたいに紹介されていたかもですね。

人々が絵を描いてくれと、紙を置いていくそんな様を、

 「うらめしや わがかくれ家は雪隠(トイレ)か 来る人ごとに紙おいてゆく」

と歌っている。可笑しい。かるやかなユーモア。

依頼者多数だが、金にならない仕事ばかり。なんか「面倒くさいのう」とかブツブツ言いながら絵を描いている仙厓さんの姿が目に浮かびます。そんな中「世のため人のため」と、修行の一つのように愉しみながら仕事に向き合っていたんじゃないかと勝手に想像してしまいます。

そういった「頼まれ仕事」との関わり方。人から頼まれるって(面倒な時もあるけど)ありがたいことだし、いざはじめると依頼者の期待以上を出すよろこびにシフトできると、とたんに愉しくなってきたりして。翻って自分だけの世界では考えられなかった側面を識ることになったり、ある意味頼まれるうちが花だったりと、しかもいい年になっても頼まれるコトなんて、一生できる仕事ってそういうものなのかなぁ。

話は戻って、その当時の人たちをとりこにさせた仙厓さんの禅画とは何だったのか?

入り口は、やわらかに、おおらかで、かるやかで、ほがらかな画風で、人間の生き方を考えるものになっているが、その禅画は奥に深く、全てを説いているわけではなく、解を探すのは自分だということ。

この禅画が傍らに在れば、これみて何とかなる。生きていける。みたいなものでしょうか。毎日眺めていると、ある日「こんなことか!」と、気がついたり。そんなメッセージをおおらかに発信する禅画だったら、欲しがる人がたくさんいただろう。

それって、縄文時代でいうところの、ムラのみんなのためにわたしたちの「土偶」をデザインしてもらえないかと頼まれる状況と同じではないか!と想います。

そのモノの物質的な豊かさでなく、精神的な豊かさを受け容れる、そこに価値を認めるといった人間が昔からたくさんいたということを感じうれしくなる。


仙厓さんの禅画で好きな「一円相画賛」。
円だけが描かれたところに「これくふて 茶をのめ」と。絶妙な構図のバランス。

禅宗における悟りの境地のメタファーの円相を「まんじゅう」にしてしまう。
マグリットの「これはパイプではない」とは違ったアプローチの趣。

想像力というものは人間が生きていくうえで、いかに大切なものなのかと。かのアインシュタインも想像力は知識よりも大切だと言っていたらしい。

仙厓印のフォルムもダルマなんですよね。細部に至るまでデザインに抜かりなし。

これら作品と仙厓さんという人を見ていると、生き方そのものがデザインに現れているんだなぁと感じます。おおらかで、おだやかで、かるやかで、ほがらかな、現代で言うところのリアル仙人系の代表ですね。

 


円相図は、シンプルなだけに他の人も比べてみるとまた違った趣を感じます。グルっと一周した、ただの円をどう想い、どう描くのか?

左は、仙厓さんと同じ臨済宗の僧侶、ティク・ナット・ハン。マインドフルネスを創始者で詩人です。彼は、円相の中にさまざまなメッセージをよく描いています。
真ん中は、熊谷守一の月。右は日輪。熊谷守一は、油彩でも日輪を多く描き、夕暮れの太陽は自画像だとも言っていたそう。

 


仙厓さんの禅画で有名な「○△□」の英訳タイトルは The Universe だそうな。なるほど。

それから仙厓さんは、岩や石の収集家だったみたいです。遺愛品ですごいフォルムの石の硯を使っていて、そのカタチに合わせて蓋を木で作っていて、とてつもないこだわりを感じました。
仙厓さんの石のセレクトは独特というか、けっこうグニャグニャとした個性的な有機体みたいものが好みのようでした。

写真の石はいろいろな場所で気に入った石を拾ってきたものです。机の上やそこここでペーパーウェイトとして愛用してます。自然が創った石の造形美はあくことなく見入ってしまいます (㊀ö㊀)