キャラ王
ピカソ

キャラ王<br>ピカソ

あまりにもあまりな存在のなんとも畏れ多いお方ですが、特に心が揺さぶられるのは作品に現れる強いアイコン性を持つキャラクターたちの質と量。

彼自身もキャラクターやマスコットを創ろうとして描いていた訳でもないでしょうが、お構いなしに噴出するマグマのようなアクの強い登場人物たちにとても魅了される。
ホントいろんな意味でピカソは特異な人間だ。

そもそもピカソには、パトロン的な人の発注を受けて描くイメージがない。そこがマティスとは大きく一番違うところか。自分の描きたいものを描きたい時に、描きたいように描く。店主の気まぐれこだわりメニューしかないお店。
ちなみに、キャラクターのギネスは、やなせたかし氏の1768体らしいですが、そういった目でカウントすると、ピカソの方が多いかも知れない。

しかしいずれにせよ、絵画や陶器に登場する人や動物や天使の顔のようなものたちは、とても魅力的だ。子どもが描くようで、子どもの絵とは確実に一線を画するもの。

テイストは、カワイイ縄文土偶を彷彿させる。本人的には縄文など知らないでしょうし、アフリカ的ではあるのでしょうが、そんな事お構いなしに、より人間の原始的な好奇心からくる、まだ見たこともない景色を探しているような感じ。

ドキュメンタリー映画「ミステリアス・ピカソ – 天才の秘密」を見ていると、全身が脳というか、どこからともなく創造が溢れて出て、勝手に手が動いているよう。猪熊さんの指摘どおり、まさにモデルや対称など何もなくても関係ないという描き方。
アウトサイダー系の人にも脳と手が直結しているような天然タイプが結構いる。内なるナニモノカと対峙しているのか、描かずには生きていられない人たちだ。

そして、創造と破壊の展開。築き上げてきたものを、ことも無げに捨てられる。「何か違う?」と感じた時にどこまで戻れるか?これは、デザインでも、他の仕事で大切なこと。そしてこれがとても難しい。

こういったライブ・ペインティングだったらぜひ見てみたい。昨今流行っているライブ・ペインティングって、タレント性とかパフォーマンス寄りなものばかりで、ペインティングそのものには、ストーリーや面白さが感じられない。

多くの人間が携わるプロジェクトになると、戻すとか棄てるとかはさらに難しい。こんなに時間かけてがんばったのだからとか、理由はそれぞれにあれど、今のオリンピックや多くの人が関わる公共事業などがまさにそう。もはや、プロジェクトが大きすぎて人格のない生物になっていたりする。人間の扱える大きさの限界なのか。

人類学者ロビン・ダンバーによる、ダンバー数というものがあり、安定的な社会生活を維持できる集団数は150人だと。そして、ダンバー数によると3~5人が、最も親密な友人関係を築ける人数。これは、家族とか最小で最強のチーム数だと思う。
縄文時代も、基本家族が単位で、狩にでるときはムラのチームで動いて、社会の単位もせいぜい30人くらいだったとか。最大の集落といわれる、三内丸山では最大500人が生活していたという説があるが、永きわたりこの集落がうまくいっていたと考えるなら、せいぜい150人くらいでの生活だったのでは?ましてや文字も無いこの時代に、500人をひとつに統制させる事は想像がつかない。

ピカソの中でもよりキャラたちが強く現れるのが陶芸作品。日本でピカソと言えば箱根の彫刻森のピカソ館。ここは若い頃は、主に陶芸を見によく行ってました。隣で見ていたオバちゃんが、「こんな絵わたしでも描けるわ〜」とホントウに言っていたのを思い出す。
ピカソは、とにかく全体のバランスを見ながら破綻せずに描けている。そこが子どもの絵との大きな違い。しかも、ものすごい質と量で。こういうのはやってみないと分からないだろうなぁ。

ピカソは65才から陶芸を始めたようで、これらフツーの老人の作品じゃないですよね。サラリーマンなら定年後の作品。スゴイなぁ。そればかりか、陶芸のみならず金属にまで制作は広がっていく。飽くなき好奇心と探究心。

ピカソの作品では絵画よりも陶芸が欲しい。買えないけど。絵画は、家にあったら重くて疲れそうだけど、陶芸は楽しげでいい。ピカソの顔皿で、食事してみたいなぁ。

ついでに思い出すのが、アンティーブのピカソ美術館。海に面した庭というか大きなテラスが気持ちのいい場所。館内のピカソの展示もさることながら、美術館の佇まいが印象に残る。当人が暮らした場所に近い美術館は、本人の薫りが残るからいいですね。ここで買った「生きるよろこび」のマグカップを仕事で10年くらい使っていたのだけど、ある時に行方不明に。どこにいったかなぁ。残念。

バルセロナのピカソ美術館。美術館として小ぢんまりとしてるが、邸宅として大きな建物。バルセロナの街に馴染む素晴らしいところ。こちらも、作品もさることながらその建物の佇まいに感銘を受けた。
とにかくバルセロナは街全体がスゴかった印象。学生時代に行った時に、ガウディ建築の異質さを確かめに行ったら、普通にガウディ建築が街に馴染んでいるというところ。カサ・バトリョなんて一回通り過ぎてしまったほど。二度目に行った時は、そんな空気感にすこし慣れている自分がいて、まあそういう事でもあるのかと納得した記憶がある。

写真左は、ブラッサイが撮影したピカソの彫刻。右は、小石に刻んで創った彫刻。言わばピカソの岩偶か。これらはイランあたりの古代文明から発掘されたものといわれても信じてしまいそうにも見える。

やっぱプリミティブだなぁ。

しかしながら、メッセージや意味的なものはあまり深くはとれない。ピカソは、想いをこめるということよりも、造形への飽くなき探究心みたいなものが勝っているんだろうなぁ。


娘のパロマと一緒に絵を書いている写真を見ると、なんていうかライバル同士で描いているみたいな雰囲気。
ピカソ自身が、遅れてきた5才児だったのか。早熟だったピカソは、年をとるごとに開放されて子どもになっていく。子どもの頃の作品の方が、老成した画家のようだ。

昔いろいろな偉人たちを一言で言うと何?みたいな記事があり、ピカソは「Vitality」となっているのを見て、そうだよねと納得したことがありました。生命力や精力のカタマリみたいな存在ですよね。

描く絵もしかりだが本人のキャラも濃く、いいも、悪いも、むき出しのピカソ。
現在に生きていたらユーチューバーとかやると向いているタイプかも。
荒々しいバランスが闘牛の臨場感を伝える装丁。背表紙も乱暴に色だけ!
マティスのデザインしたブレッソンの方が洗練されていて好きですが、こちらはこちらでブッキラボーないい感じ(⊝.⊝)