コンセプトって
やつは
マグリットから
2019 11.27 0:04
「これはパイプではない」と書かれたパイプの絵。
象徴的なビジュアルにコピー、高校生にわたしにはいったい何を言っているのか?と言った状態ではありましたが、何故か強烈に惹かれるものがあり、ポストカードを机の前の壁に貼って、日々ニヤニヤと眺めておりました。
マグリットのどこに惹かれたのか?後に改めて考えてみると、コンセプトや想いみたいなものが大量に注入されているのに、アウトプットがさらっとしていて見る側に熱量の強制みたいなものが感じられないところでしょうか。
それでいてビジュアルの奥底には、ものすごいマグマのような熱量を感じさせる。この距離感のスタンス、品があり、ギラギラとしていない。只者ではありませぬ。ちなみにですが個人的に、すんごい努力の跡を見せつけられる作品というのは好きではありませぬ、、。
マグリットから受けた影響のいちばんのところは、「見えないものを視る」というところかな。
タイトルと絵の対比もしかり、描かれた絵そのものをとってもそのまま額面通りに受け取れるものでは無く、視方や想い方でいかようにも深くとれる。解というものも一つではない。一枚の絵に対して、いくらでも想いを巡らせる脳内ロング・ジャーニーが愉しめてしまうところですかね。
わたしも過去に広告でオマージュさせていただいたこともありました。二谷友里恵さんが新しくはじめるブランドの決意表明を、まだ見えぬ未来への不安と希望を表現したものです。撮影は岩本茂さんに8×10で撮っていただきました。今思い出すと、制作時にはマグリットのこの絵のことは全く意識しておらず、改めて知らないうちに影響されいたんだと意識した次第であります。
ついでに他のシュールレアリスムの人たちでいうと、ダリはいろいろと過剰でしっかりと対峙すると疲れるし(本人のキャラとかchupa chupsのロゴとか好きですし、フィゲラスの「卵の家」はおもしろかったけど)、ポール・デルヴォーはキライじゃないけど、深く入れない感じ。なんかシチュエーションを描いているような感じがとれてしまう。日本版の香水ジルバの装丁には、ハマっていた印象があって、そういうストーリーに合うのかなぁ。と、思いつつ原作の装丁を今更ながら調べてみると、こっちの方が全てストーリーがつまっているなぁ!と。レイアウトもこっちの方がいい!ちなみに、書籍界では慣例ですが、海外の装丁を国により変えてしまうのはなぜなんでしょうか?絵本は、タイトルまわりが母国語に変わるとか、音楽なんかはそのままのジャケだったりと、あまり変わらないんですが、。自分が作者だったら同じ方がいいと思ってしまいそうで、作者のみなさんはどう思っているんしょうかね?
むかしのレコジャケは、「ジャケ買い」という言葉もあったようにある意味、一番大切な広告でした。レコードショップに行って、パラパラとめくったりしてピンっと来たものを買ってみるなんてことはみんなよくやっていました。そんでもって家に帰って聞いてみて「アタリだ!」とか「そうでもなかった!」とか、大げさに言うとその制作者の想いみたいなものが現れているものを、ビジュアルから読み取る訓練にもなったかと今になって思います。ついでに思い出しましたが、レコードの時代はわざわざ輸入盤と日本盤を見比べて印刷具合などのコンディションを見てから、結局輸入盤を購入してました。色味もやはり輸入盤の方がよかったですね。紙質も違ったりして。海外の悪い紙の方がいい雰囲気が醸していたり、。それと日本盤の帯も、ジャマなんだけども捨てられないし、みたいな感じで扱いに困るという存在でした。CDになって帯がなくなったのはよかったですが、これまた過去の話ですね。紙ジャケよかったなぁ、、。
あと、本なんかも外カバーはあんまし好きじゃないです。しかも、カバーと内側の表紙が同じデザインというのはなんとももったいない感じで、これまた捨てたいけど捨てづらい、、。汚れ防止なんでしょうか?海外ではペーパーブックなんかも多いですが、ガザガザの紙に印刷していて、でもエンボス加工やらしてて、あのタイプは日本だとあんまし売れないんでしょうかねぇ。個人的にはとても好きなのですが。
話は戻って、しかもマグリットは、ロックもイケるところもいいですね!
ストーンズのアンジーのオマージュやビートルズのアップルレコードなんて最高だと思います。ちなみに、元ネタをみんなが知っている前提での表現は、パクリではなくオマージュです。元ネタが存在しているからこそ、このネタが存在しているというところ。むしろ元ネタを知らなかった人は知ってほしいくらいのことなのです。パクリとオマージュの大きな違いはココにあります。
ワインやお酒などのラベルや、お菓子のパッケージもしかりで、創る人の美意識がその場所に見えるのと同じですね。かなりの確率でジャケがいいものは、中身もいい!なぜなら、いいものって、ディテールまでこだわっている人たちでないと創れないし、ジャケはパッケージは最期のアウトプットだから、自ずとこだわり加減がよく見えるポイントなのであります。
それから、2015年のマグリット展@新美術館のお土産はいい感じでしたねぇ。
ベルギークッキー缶のパッケージを変えたもの。山高帽のキャップ付きペンシルは小学生だった次男がプレゼントしてくれました (㊀ö㊀)