銈介さんに
勝手にシンパシー

銈介さんに<br>勝手にシンパシー

ウチのおかんが芹沢銈介さんが好きで、子どもの頃から家にはカレンダーとか、暖簾、団扇などがあり、また近所にあった大原美術館にもよく連れて行ってもらったりと、なんとなくその存在は意識していた。

しかしながらその10代の頃は、民藝というものもなんだかよく理解できず、何なら「ちょっと古くさいなぁ」くらいの認識しかなく。後にデザインに仕事として向き合うようになると、芹沢銈介をはじめ棟方志功、河井寛次郎、濱田庄司といった人たちのホンマモンの凄みがやっと実感しはじめて、それは、自らもデザインの経験を積めば積むほど、深く深くと実感させられ、今でもそれは進行形だ。

ところで「民藝」。最近、テレビでの発音が気になりませんか。アクセントがミンにあって、民藝品、民藝運動、日本民藝館なんて時は、フラットなミンゲイに戻るんだけど、あれは何なのでしょうか?耳になじまないアクセントだ。柳宗悦はどんなアクセントをしていたのでしょうか?

それはそれでひとまず置いといて。

芹沢銈介さんの作風には、他の民藝の方々と違い、縄文やアフリカを始めとしたプリミティブなものからの影響が色濃く見えるところが好きだ。それは芹沢コレクションなるものからもよく見てとれる。

のれんの中に縄ののれんを描いた「縄のれん」と、そのものずばりの「縄文のれん」。現代でいったらクリストファー・ネメスか。

この着物はまるでマティスのヴァンス礼拝堂の司祭服のようだし、壁掛けのテキスタイルはアフリカン。
これらに限らず、ドローイングや絵画もいいし、大原美術館工芸館の移築と内装も手掛けたりと縦横無尽にデザインの限りを尽くしている。

それから勝手にシンパシーを抱いているのが、欲しい物の傾向がけっこう似ている。中でもたまらんのが日本民藝館に鎮座している岩偶。岩手県の岩泉町で発掘された岩偶。どうでもいいけどすごい岩づくし、、。
柳宗悦から「民藝館の全ての蔵品をこの一個に換えても良い」と激賞されたほどの岩偶。芹沢銈介は最終的には寄贈したようですが(気前がいい)、なかなか凄いエピソードですね。昔あったMJBコーヒーのCM(カウボーイがコーヒー一杯と馬の鞍と交換してもいい)を思い出しました。なつかし。

この岩偶、それ程までにかなり凄いデザインだとわたしも思う。自分の収集品全てと交換できるか?できないか?勝手に悩む。まあそれはともかくこの岩偶、正面も凄いが背中も凄い。連なる渦巻文様。美しいデザイン。この「目の表現」も独特で、あまり見かけないタイプ。顔のほとんどを占める存在感アリアリの大きさだが、その楕円状の目の中には何もない。しかしながら顔のパーツのバランスは最強。眉毛と口と目の配置バランスなど只者ではない。

同じく岩偶で、わたしの好きなものに青森の五所川原で出土したものがある。見に行った時に触らせていただき、3000年前の触感を堪能させていただいた。青森も岩手の岩偶も時代的にはBC800年の同時代の近い地域。そのせいなのか頭部の雰囲気は似ている。こちらの目には青森あたりではメジャーだった遮光器土偶の目を思わせる横ラインが入っている。全身を渦巻文様でおおい、顔まわりはシンプルに仕上げる同じ方向性のデザイン。この青森の岩偶は、軽石のような感触では彫りやすそうな質感だった。

対して岩手の岩偶は重そうに見えるがどうなんだろうか。またサイズも大きく、上半身だけで青森の岩偶の倍以上ある。全身があれば30cm近いものになるのか?また下半身はどんなデザインになっていたんだろうか?興味は尽きない。

銀座あけぼの「味の民藝」では、掛け紙に芹沢銈介氏の春夏秋冬のタイポグラフィを季節に合わせて使用させていただきました。一番外側の掛け紙だけですが、圧倒的な存在感あり、ほぼ芹沢さんの仕事だと思っています。芹沢さんのデザインに釣り合うように、おかきで創った個包装のデザイン。あーでもない、こーでもないと苦心した20年前を思い出しました (㊀ö㊀)